2012年5月2日水曜日

第15回全日本自転車競技選手権大会ロード・レース

1. レース詳細
レース名:第15回全日本自転車競技選手権大会ロード・レース
日時:2012年4月29日(日)08:05スタート
天候:晴れ
クラス:エリート女子
エントリー数:30人
場所:岩 手/八幡平
主催:財)日本自転車競技連盟

2.使用機材・サポート

フレーム : GIANT TCR ADVANCE SL3
タイヤ : HUTCHINSON CARBON COMP
ペダル : LOOK KEO BLADE TI
レースウェア : PEAL IZUMI
シューズ : SPECIALIZED Women's S-Works Road Shoe
サドル : SPECIALIZED Toupe Team Saddle
ホイール : ZIPP 303
アイウェア : RUDY PROJECT MAGSTER
ヘルメット : OGK KABUTO REDIMOS
ケミカル : MORGAN BLUE
ドリンク : MUSASHI REPLENISH
テーピング : New HALE Vテープ・Xテープ
ボディメンテナンス : 日本カイロプラクティックセンター大船
            : PREMINA さくら治療院

2. リザルト

優勝   萩原 麻由子 サイクルベースあさひ 3時間46分32秒
2位    与那覇 恵理 フォルツア               ±0秒
3位    金子 広美 イナーメ・アイランド信濃山形    +36秒
6位    西 加南子 LUMINARIA             +8分2秒

3. レースレポート

 日本チャンピオンを決める1年で一番緊張感のあるレース。
今年は例年よりも2か月早い開催となった。昨年からこの4月開催についてはわかっていたので,逆算していつもよりトレーニング開始時期を早めていた。
都合の良いことに,私が2月のアジア選手権,ニュージーランド遠征と派遣が決まっていたのでトレーニングについては他人より早く始めていたし,あまりオフをとることなく年越しをしていた。そこまでは良かった・・・。
 
 
 問題はむしろ2月の遠征を終えてからの全日本に向けてのトレーニング環境だった。私は花粉症の症状が酷い,トレーニング中は大丈夫だが1回炎症が酷くなるとダメージが大きい。なんとか誤魔化しトレーニングをしてきたが。
 レースの日は刻々と迫っていく,焦りはあったがやれることはやったつもりで当日を迎えた。
 スタート時は肌寒かったが,1周目を終える頃には暖かくなっていた。



 スタートして1周目,3名の選手が逃げるなか,集団は落ち着いたペースで進んだ。私も集団内でリラックスして走る。
  2周目の坂でさらにメイン集団から萩原選手と与那覇選手が抜け出した。メイン集団はそれを追うことなくタイム差が開いた。差を開けすぎると詰めるのが大変なので,メイン集団では見える範囲内で前の2人との差をキープしてローテーションをして走った。
 4周目の坂手前で,前方で合流していた4名を捕まえ,レースは振出に戻った。
 登りの度に与那覇選手がスルスルと前へ抜け出す,アタックではなくスピードを上げて走っていたら1人抜け出していたという感じだ。
その後,しばらく集団に動きはなかった。動きがあったのは6周目の登り。
いつものように与那覇選手が先行しているところへ萩原選手がアタックをして合流をした。そこで集団がばらける。私はそのスピードアップになんとか対応しようとダンシングをするが,身体が重い,息が苦しい。
 レースをしていれば苦しさは当たり前だが,それにしても苦しい。遅れた豊岡選手と頂上を通過するころには,後ろにいた森本選手も合流,下り始めると前から落ちてきた福本選手と4名の集団となった。



 平地も4名でローテーションをしてスピードをキープ,7周までは先頭集団との差はキープして走っていた。しかし,8周目の登りを終えた時に一気に先頭との差が開いた。前の周回で1分ほどの差だったのが,5分差ほどに開いた。
 当然だが,前を行く5人はスピードが上がり,私達4人はローテーションをしていたが,スピードは上がっていなかった。差は広がる一方・・・。
 そのまま最終周回の登りに入る。登りを走っている感じでは4人の中で自分に余裕があるのはわかっていた。せめてこの集団での頭は獲らなくてはならない。
 ゴール前の坂が緩くなったところでアウターにギアを入れ,ラスト300M位から先行してスプリントに入った。ギアを踏み続けてそのままゴール。6位だった。
 昨年の3位は展開的に終わった後にガッカリしたが,今回の結果は自分で少し予想ができていたのでガッカリというよりはボ~ッとしてしまった。悔しくないわけがない。でも人に勝てなかった悔しさではなくて,自分が走れなかった失意という感じだ。
 サポートを受け走っている身としてはどんな環境でも最善の策をとらなくてはならなかった。花粉症を理由にしたくはないが,一番追い込まないといけない時期に体調を崩していた。この時期に開催されるのがわかっていたのに,自分の最善が甘かったのだと思う。